2024年6月13日
EDITOR PICKS

東日本大震災の日

東日本大震災の起きた2011年(平成23年)3月11日。

その日、私は横浜にいた。

午前中に千葉での仕事を終え、すぐに横浜に移動。日本最初の洋式公園である「山手公園」近隣の洋館で用事を済ませ、その後は「日本庭球発祥之地」の石碑などを撮影したり、大佛次郎記念館のそばでネコと戯れたりしてから、ベイブリッジの見える眺めの良いベンチで遅めのランチを取っていた。

ベイブリッジの方角の空には雲がかかってはいたが、空は青く、空気は冷たいものの、とても心地よい午後のひと時。

一つ目のおにぎりを食べ終え、二つ目を食べようと手を伸ばした瞬間、「ごぉーっ」という地鳴りのような音と共に視界がぐらりと揺れた。正直、「地鳴りのような音」は実際に鳴ったのか、後から「そう聞こえた」と思っているだけなのかはわからない。とにかく、自分の身体が「眩暈」か何かで実際にぐらついたのか、おにぎりをとろうと手を前に伸ばした時に「揺れた」と錯覚しただけなのかを判別しようと脳内で少し逡巡した気もする。

しかし、続いて襲ってきたのはこれまでに体感したことのないような大きなうねりのある揺れであった。

すぐそばで立ち話をしていた人たちが柱につかまったり、しゃがんだりしてしまうほどの大きな揺れであった。

「これは大きい」と頭の片隅で感じながらも、一方で意識はあまりのことに現実逃避をしていたのか、港の景色の美しさと未だ満たされない空腹に支配されていた。目の前で、いや自分自身も含めたこの地上が異常な「揺れ」に見舞われているのにもかかわらず、ぼんやりと違うことを考えていた。

悪天候で荒れた海を渡るフェリーで感じたような、長周期の揺れはどれくらい続いただろうか。

気が付くと周囲はざわざわとしていた。そこかしこで「今のかなり大きかったね」「やばいな」という声が聞こえる。

と同時に、明らかに大きな揺れであったのに、皆どこか他人事のような感じでもあった。誰一人、パニックになる人もいなかった。海がすぐ目の前ではあるものの、見下ろすような高台にいたせいもあったのかもしれないが、それにしても誰一人、避難するようなそぶりさえも見せなかった。

それは自分自身にしても同じだった。揺れが収まって次にしたことといえば、おにぎりの続きを食べる事だった。

今にして思えば、まさに「正常性バイアス」の状態にあったのだろう。

人間はあまりに想定外のことが突然起きると、「自分は大丈夫」「大したことではない」と思考が停止してしまい、その結果、逃げ遅れたり巻き込まれてしまうという。

「パニックにならずに落ち着いていた」という、聞こえのいいものではなかった。ただただ、私自身の思考が停止していたのだ。

横浜2011年3月11日14時33分(東日本大震災発生の13分前)に撮影した横浜の空
横浜震災発生後の山下公園

1923年に起きた関東大震災では、人口の多かった東京府(当時)のみならず、近隣の県でも大きな被害があった。いや、むしろ全壊、半壊した建物の数でいえばデータ上では、東京よりも神奈川の方が桁違いに多かったという。特に震源に近い横浜では、石造りやレンガ造りの官公庁やホテルなどの建物はあっという間に倒壊、外国領事館なども多くが焼失している。(海岸沿いにある有名な「山下公園」は、関東大震災の際に出た横浜市内の瓦礫を埋め立てて造られたもの。)

当時の横浜の人口は東京のおよそ5分の1であったのにもかかわらず、全半壊した建物の数は東京よりも多かった、というのが揺れのすさまじさを物語っている。神奈川県内では、東京では観測されなかった津波も発生、地震発生時刻に鉄道の転覆事故も起きており、犠牲者が沢山出ている。

関東地方に甚大な被害を与えた「関東大震災」から88年後、「東日本大震災」が発生。それから今日で9年。

関東大震災後の東京の風景